インド旅行記、アジア旅行記
他・インド諸事情(その2) ―――――――――――――

『透明な闘い』
『インドの音』
『インドの臭い』


『透明な闘い』


 「どうだお前、シバを助けてくれないか」

 大きなシバ神の絵を前に、青年は言った。
 ぼくはリタの息子に案内されてバラナシの有名寺院(名前を忘れた)に来ていた。
 そこには多くのシバの絵があった。それを見ながら彼は絵についての解説をして呉れた。 英語が達者ではないぼくには、しかしその半分くらい しか理解できないでいた。
ある一枚の絵の前に来て彼は、日本人のぼくにはおそらくその重大さが理解できないであろう不思議な話をした。
 寺の中は暗く、外の暑さなど忘れてしまうかのよう涼しい。 ぼくらの他に観光客は、白人の夫婦が一組いるだけで、中はひっそりとしている。

 「ここはシバの街だ。しかし、今この街にはシバがいない。 ムスリムの連中がシバをサウジの○○(聞き返したが分からなかった。でも、確かにサウジとは言っていた。)に監禁しているからだ。シバの回りには逃げられないようにウシの骨がまいてある。」

 「ウシの骨が?」

 「ウシはシバの乗り物で、神聖なるものだ。だからその骨はガンガーに流してしまわなくてはならない。その骨のせいでシバはそこから逃げ出すことができずにいる。」

 ぼくらの前にいるシバ、蒼い皮膚をした神は破壊を司る、ヒンズー教二大神の内の一人だ。首に蛇を巻き、目をかあっと見開いたシバの絵は、しかし何処か親しみやすい。

 「多くのヒンディがシバを逃がしこのバラナシに取り戻そうとサウジに渡った。シバを助ける為にはガンガーの水を与えてやらなければならない。ある者は、ビニールの袋に詰めたガンガーの水を自分のふくらはぎに埋め込んでシバの元へ向かった。 でも、その場所の監視はとても厳しくて皆失敗している。監視の奴等インド人にはだから、何時も目を光らせている。」

 先ほどの白人夫婦はとうにぼくらを追い越してどこかへいってしまった。今ここにいるのは、ぼくと彼の二人きりだ。

 「お前、シバを助けに行かないか。」

 ぼくは、その言葉に彼を振り返る。

 彼は満面の笑みを浮かべ、無言の内にその言葉を打ち消す。

 「今この街にはシバがいない。だからみんな貧乏なんだ。 シバが戻ってくれば、みな金持ちに成れるのに・・・」

 宗教を持たぬ一人の日本人が、はあと溜息をついた。

(了)

【Memo】

※シバ:シバ神。ヒンズー教の神々の一人(一神)。ヒンズー教には数多くの神が存在する。シバ、ヴィシュヌ、クリシュナ、ガネーシャ、ハヌマーン、etc。シバとヴィシュヌの子がガネーシャだとか、全ての神は様々な化身を持つだとか、ガネーシャは日本に来てえびすになったとか、その世界は複雑でよく分からない。ヴィシュヌは創造、シバは破壊、ガネーシャは富、ハヌマーンは猿将軍、ぼくに分かるのはこの程度である。

※ウシ:とにかくインドにはたくさんウシがいる。その辺をのそのそと歩いている。初めてカルカッタでウシの姿を目撃してインドに来たんだと感激した覚えがあるが、一日で飽きた。インドのウシはみんな肋が浮いて、痩せている。

※宗教を持たぬ:本当は持っている。家は代々浄土真宗だ。実はこの宗派、念仏を唱えるだけで極楽浄土にいけるという、何ともすばらしいものなのだ。だから、宗教を持たないというのは言葉のあやだって、あや。かっこよさそうだから、つい。



『インドの音』


 サイクル・リキシャに揺られていた。

 ぼくは居眠りをはじめる。

 そこいら中でリキシャのベルが鳴っている。

 リリリリリン、チリン、チリン、リリリリリン。

 とにかく暑い。

 でも、サイクルリキシャの幌の下、風にあったっているととても気持ちがいい。気持ちがいいのでついつい、うとうとしてしまう。

リリリリリン、チリン、チリン、リリリリリン。
リリリリリン、チリン、チリン、リリリリリン。
リリリリリン、チリン、チリン、リリリリリン。

 突然けたたましく車のクラクションががなり声をあげる。バイクは情けない声で「ミー」と鳴く。

 ビー、ミー、チリリリリン。

 ビービー、ミーミー、チリリリリン。

 「あーもう、うるさいな!」

 音が、年がら年中なっている。インドはやかましい。
 スピーカも割れんばかりの大音響で音楽を流す街角のカセット・テープ屋。人々の大きな話し声。子供たちのはしゃぐ声。犬の吠える声。

 「チャーイ。チャーイ。チャチャ、チャーイ。」

 汽車の中では昼夜を問わずチャイ屋が声をあげる。

 「ハロー、ジャパニ。ハッパ買う?ハシシ、マリワ ナ、ガンジャ・・」

 「ジャパニ、女、ジキジキ・ガール。オマ・・・」

 「ハロー、見るだけ、シルク。ノー、タカクナイヨ・・・」

 囁くよう、近づいてくる声たち。

 人なつこいインド人。

「ハロー」「ハロー」

子供たちも「ハロー」「ハロー」

とにかくインドは賑やかだ。

夜中、ふと目が覚める。しんと静まり返ったホテルの部屋。

「ここはどこ?」

天井の扇風機だけが静かに回っている。

ああここはインドだ。

扇風機の回る音。

(了)

【Memo】

※ハシシ、マリワナ、ガンジャ:
麻薬。種類についてはぼくは詳しくないので知らない。 バラナシの街角ではこれら麻薬入りのクッキーやジュースを半ば公然と売っている。



『インドの臭い』


排気ガスの臭い。

ウシの糞の臭い。

アンモニアの強い刺激臭。

人々の体臭。

ごみの臭い。

道端に広げられた魚売りの魚の生臭ささ。

香辛料の匂い。

露店からたち登る煙、美味そうな匂い。

お香のかおり。

全てのにおいたちは、ほんの一瞬ぼくの鼻先を かすめると、さっさと通り過ぎてゆく。

においは後を引きずらない。

だから、ほとんど気にならない。

乾燥した気候のせいか?

ぼくは、もっとすさまじいものかと思っていたのに。
しかし、インドのにおいは実に潔いのだった。

(了)