着いた翌日。夕方、プシュカルの参道から帰ってベッドに寝ころんでいた。ホテルの裏手は空き地。その空き地から誰か呼びかける声がした。子供の声だ。部屋は二階にあった。だから、窓は全開なのだが、向こうからこっちは見えないはずだ。身を起こして窓の外に目を遣ると、空き地には小学生の高学年か、或いは中学生くらいの子供と、小学校の低学年だろう、二人の男の子が、にこやかに手を振っている。
ぼくも、それに応えるよう笑顔になって手を振り返す。
「フォト!フォト!」としきりに彼らは言っている。
じゃあと、ぼくは、しかしカメラを持っていないのでビデオを回す。
すると、空き地の向こう、壁を越えて、一人、また一人と子供たちが走り寄ってくる。その数は瞬く間に十人ほどになった。彼らがばらばらに、自分を指さして、或いは大きく手を振ったり、ジャンプしたり、自分をアピールしながら何か大声で言っている。おそらく、おれの写真も、私のも、と言っているのだろう。ぼくは、その子供たち一人一人に向けてビデオを回す。一通り撮ったかなと思うと、今度はビスケットだ。十人ほどの子供たちの、ビスケットの大合唱が始まった。
プシュカルの子供たちは、どうやらビスケットが好きなのだ。
このホテルから、プシュカル湖への道の途中でも、プシュカルの参道でも、そして、ここに帰ってくる途中にも、子供たちに声を掛けられ、風が吹けばかき消されてしまうほどの、その小さな声に耳を傾けると、彼らは皆一様に、ビスケットと言っていた。ビスケットなど持っているはずも無いから、持ってないと身振りで示す。すると今度は1ルピーと言った具合になる。
翌日、参道の帰りに、だから、大きなビスケットの袋を買って帰った。
ビスケットの袋を持って歩けば、子供たちの、ビスケットの声にたじろがないで済むだろうからだ。
同じように、その日の夕方も彼らはやってきて、窓の外でこちらに向かって声を掛けた。
「フォト!フォト!」
窓の外に顔を出すと、おそらく、昨日と同じ面子である。昨日撮ったじゃないかと言うのだが、どうやら理解できないらしい。話がうまく伝わらない。一人英語を少し話す少年がいた。昨日一番始めに声を掛けてきた、この集団の中で一番年かさに見える少年。名をノーラといった。
「トゥモーロー!トゥモーロー!」と、ノーラはしきりに言っている。
明日?明日又撮ってくれと言っているのだろうか?それにしても写真好きな子供たちだと、一人合点していると、そこに彼女がやってきて、片言のヒンディー語を話し始める。
どうやら、「昨日」と言っているらしい。
ヒンディー語では、「昨日」も「明日」も同じ単語を充てるのだそうだ。だから、その言葉が昨日であるか、明日であるかは、文意を汲んで初めてわかるということなのだ。ノーラは、だから、ヒンディー語式に英語でも、昨日も明日も、きっとトゥモーローなのである。
今日であること。それ以外はもはや重要ではないのだろうと、勝手に頭の中で、暫し妄想にふける。
つまり、彼らの言いたいことは、「昨日撮ってくれた写真をくれ」と、そういうことらしい。昨日、ぼくが彼らの姿をビデオにおさめているその横で、彼女は写真を撮っていた。
現像が出来ていないので、日本に帰ったら送ると身振りを交えながらなんとか説明する。だから、住所を教えてくれと。一本のペンにノートの切れ端を巻いて、彼らの元に投げようとすると、皆が皆、こっち!こっち!と又自分によこせと高い声で言う。本当に判っているのか?と、心配で、だから英語を解するノーラに向けてそのペンを投げてよこす。彼はそれをキャッチして空き地をかけて渡り、その向こうの壁を越えて消えた。
通訳を失ったわれわれは、意志を伝達する手段を失い、しばし辺りはシンとなる。子供たちは、ポツリポツリと、自己紹介をはじめる。ぼくの名前を聞かれたが、やはり覚えるのは難しいらしい。発音すらまともに出来ないのだから。横では、彼女が持ちうる全てのヒンディー語の知識を駆使して、かどうかは知らないが、女の子たちと話をしている。
と、ノーラが壁を再び越えて戻ってきた。どうして、子供というものは走るのだろう?日本では、かく言う、ぼくも又毎日よく走るのだが、空き地を息せき切って駆けてくるノーラの姿を見るとどうにもなぜか、うきうきとしてしまう。
壁の向こうには何があるのだろう?彼らの家なのだろうか?それにしても、ここに集まるたくさんの子供たちの家があるとは思えない。それほどには、壁の幅はないのである。窓の下まで来ると、ノーラはわれわれに向けてぼくがした時と同じように、ペンに紙を巻き付けて投げてよこす。
紙を開く。水性マーカで書かれた住所が、今そこで、息を弾ませているノーラの手の汗、ノーラのぬくもりで少し滲んでいた。