インド旅行記、アジア旅行記
7年目の回想録――――――――――――――――― 2003 6/12

 

初めてインドを訪れたのが1996年の春。あれから7年が過ぎ、ぼくは7つ歳をとった。

 大好物のカレーの国インド。ゼロを発明した国インド。コブラ遣いのいる国。発展の可能性に富んだその途上の国。人口が世界で二番目に多い国。ガンジス河やタージマハールのある国。仏教の興った国。インド人もビックリ! なんて言葉があるおなじみの国だけど、知っていそうで何も知らない未知の国。

 初めての海外。そして初めての一人旅。緊張と興奮と恐怖。肩肘を張って、随分と緊張しインドとの対面をしたことを覚えている。

あの頃ぼくは堅物で頑固で、常識的な社会の一員としての自分を強く望んでいた。はみ出すことが怖く、しかし中々皆のようまっとうな会社員になれずに焦燥し、未来に希望が見出せずにいた。

 「社会性を持たぬ自分を、人に自分が何者であると言えばいいんだろう? 名刺一枚も持たず、スーツを着ることもない自分は誰なのだろう? 自分は何処に向かって歩いているのだろう? 」

 だからぼくの自分探しのキッカケは、社会との関係の希薄さから来ていたのかもしれない。それは人間とは何者か? といった哲学的な命題などでは決してなかった。要は、自分は○○株式会社の△△ですといった名刺一枚で事足りる、そんな簡単なもの──つまり、保障された自分の身分があればそれで満足だったに違いない。

 インド旅行の日程は一月。帰国後の就職は決まっていた。決まってはいたが、決して満足のいく職業ではなかった。
 長い長いモラトリアムな期間を過ごしたぼくは、しかしとにかく帰国後、自分の場所があることが嬉しかった。これからは人に自分が誰だということを胸を張って言うことができる。他人はぼくがどういう人間かということを職業によって判断するだろう。それ以外のことは何も──会社の名前を言いさえすればいい──他に言葉はいらない。これで念願の、常識的な社会の一員としての生活を始めることができる。

 カルカッタに着いたのは昼。空港の出口の外に大勢いるインド人に圧倒され、空港のドアをくぐるのが怖かった。踏ん切りをつけ、外に出るまでに一時間。蛍光灯のまばらな、薄暗い空港ビルを思い切って出ると、空一面に青空。強い日差しに目が眩んだが、もし自由への扉があるなら、開けた瞬間はきっとあんな感じなのだろう。
 不安が吹き飛んでしまったわけではなかったが、空港前の鮮やかな芝生の緑色が心地よかった。強い日差しに、そして乾いた風に、久々にぼくは自分が確かに生きていることを実感した。

 カルチャーショックは数え切れないほどにあった。見るもの聞く音、インドに暮らす人々の一挙手一投足が興味深かった。牛に驚き、サリーに驚き、子供たちの可愛らしさを嬉しく思い、屋台や、未舗装の道路、食事、オートリクシャ、街角の音楽、車のクラクション…、物心が付く前の子供の頃のことは覚えていないが、ぼくはあの頃の好奇心でもってインドに接していたに違いない。

 1996年のインドの旅行記は、だから今読み返してみると少し気恥ずかしい。ものの考え方が一方的なところが若さを感じさせる。しかしこれは決して自嘲して言うのではなく、自分が変わったことからくる違和感でしかない。現在の自分が悪い方に変わったとは思わない。深く…というよりもむしろ、もうひとつかふたつ、ほんの少し考える材料が増えたことで、今のぼくは、当時のぼくの考えに足りないものを見つけることができる。

インドから帰るとぼくは、自らの望む社会的自分という虚像を手に入れた(ほんのつかの間だったが)。その瞬間、目の前の巨大な黒い森が失せ、急に将来の遠くまで見通せるようになった気がした。しかし同時になにか大きな喪失感を感じた。

 果たしてこの喪失感を感じた自分というものがインド旅行によってもたらされたなどという──インドによって人生観が変わるという人もいるが──そんな大げさなものであるのかは判らない。

― 了 ―

 
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